「上から『AIで業務を変革しろ』と言われたけれど、正直どこから手をつけていいか分からない」──突然担当に指名され、途方に暮れている方から相談を受けることが増えました。
経営陣は成果を急かし、現場からは「これ以上仕事を増やすな」と煙たがられ、IT部門とは話が噛み合わない。思惑がバラバラのまま空中分解していくプロジェクトを、私はこれまで何度も見てきました。
実際、AI導入の失敗率は7割を超えると言われますが、原因はツールの性能ではありません。最大の落とし穴は、「誰が、どう動くのか」という推進体制が抜け落ちていることにあります。技術がいくら優れていても、動かす人間側の仕組みが曖昧なままでは、投じた予算も時間も無駄に溶けていくだけです。
では、成果を出している企業は一体どんなチームを組んでいるのか。
孤立しがちな担当者が現場をどう巻き込み、経営層をどう味方につければいいのか。教科書通りの理屈ではなく、明日から実務で動かすための「現実的な体制づくり」を、現場目線で紐解いてみます。
目次
「使っている」と「成果が出る」は別の話

利用率100%は、ゴールではなく出発点
メルカリは2025年、働き方を見直してAIを前提にした組織に変えるという方針を掲げました。文章作成や調べものを支えるAIは、半年ほどで全社に行き渡ったといいます。
決算説明資料によると、全従業員のAIツール利用率は今年1月末時点で100%に達し、エンジニア1人あたりの開発量はAI導入前(2024年6月期)の7.6倍になりました。
数字だけを見れば大成功です。しかし、AI推進の責任者である木村俊也氏は、ここで満足していません。
ここでいう「利用率」は、一定の期間内にAIを月1回以上、業務の中で使っている状態を指すもので、毎日どれだけ深く使っているかまで追った数字ではありません。木村氏はこの状態を、完成形ではなく出発点と捉えています。
速くなった工程の先で、仕事が詰まる
木村氏は、「ものづくりのスピードだけが上がっても、成果はなかなか増えない」と語っています。
プログラムが大量に書けるようになっても、その後に続く内容の確認や安全性の点検、ルールに沿っているかの確認が追いつかなければ、お客様に届く価値は増えないからです。
そこでメルカリは、企画から開発、各種のチェックまで、仕事の最初から最後までをAIエージェント前提に組み直し、各業務領域でエージェントを作って働く方針を打ち出しました。 AIエージェントとは、目的を伝えると、複数の作業を自ら組み立てて進めてくれるAIのことです。
私はこの話を聞いて、中小企業でもまったく同じことが起きていると感じました。
たとえば、AIで見積書がすぐに作れるようになっても、最後に社長の確認待ちで2日止まっていれば、お客様から見た返答の速さは変わりません。
一部の作業を速くしても、仕事の流れ全体を見直さなければ成果にはつながらない。「課題解決が先、ITはその手段」と私が繰り返しお伝えしているのは、まさにこのためです。
現場が動かない理由は、社員ではなく仕組みにある

部下の挑戦を止めてしまう上司
新しい方針は、約2,000人の社員にすぐ浸透したわけではありません。何をすればよいのか分からない社員もいれば、エージェント作りに時間を使いたい部下を止める上司も、少数ながらいたといいます。
木村氏は2週間に1回、全社員が集まる場で、エージェント作りに使う時間は無駄にはならないと伝え続けました。それでも「時間がない」という声はなくならなかったそうです。 私は、これを上司個人の問題だとは考えません。
上司が日々の目標として「目の前の仕事をこなすこと」を求められている限り、部下がAIの試行錯誤に時間を使えば、目標達成の妨げに見えてしまいます。挑戦を止めているのは人ではなく、評価や目標の仕組みです。
中小企業では、経営者のひと言で社内の空気が変わります。ただし、「どんどん使ってほしい」と口で言うだけでは足りません。AIを試す時間を、仕事の一部として正式に認めることが必要です。
丸1日、通常業務を止めるという決断
そこでメルカリが始めたのが「AI Agent Day」です。1,000人以上いるエンジニア以外の社員を対象に、丸1日だけ業務を止めて、エージェント作りに時間を充てる取り組みです。
朝の1時間ほどで作り方を学び、チームで自分たちの業務に合ったエージェントを作って、最後に発表し合います。参加者からは、この日を境に考え方が変わったという声も上がったそうです。
私がこの取り組みで注目したのは、「業務を止めた」という一点です。日々の仕事を優先しているうちは、新しい働き方はいつまでも後回しになります。経営として「この日はAIのために使う」と決めることで、はじめて社員は安心して挑戦できます。
ベテランほど、AIへの任せ方がうまい
もう一つ、中小企業の経営者にぜひ知っていただきたい話があります。
メルカリでは、これまで8人以上いた1チームの人数を5〜6人に絞り、AIを使って1人が複数の領域を担う働き方を試しています。確認や相談が減り、意思決定が速くなるという仮説にもとづく取り組みです。
同じ職種の中で担当範囲を広げることは比較的順調に進みました。難しいのは職種をまたぐ場合で、たとえばルール面の確認では、エージェントの指摘をエンジニアが判断しきれない場面もあったといいます。
木村氏は、専門性を持つ人が最終判断を担うほうが品質を保てると見ています。そして、AIに良い仕事をさせられるかどうかは、使う人の力量に左右されるといいます。
その力量を発揮したのが、業務の仕組みや組織を一から築いてきたシニア層でした。仕事を切り分け、何を任せるかを決めてきた経験が、エージェントの活用でも生きているのです。
これは中小企業にとって、とても心強い話です。
「AIは若い人のもの」と思われがちですが、仕事を切り分け、何を任せて何を自分で判断するかを決めてきたベテランこそ、AIを思考パートナーとして使いこなせる可能性があります。私なら、社内で一番「頼み方」がうまいベテランを、AI活用の先生役に指名します。
成果を出した人に、どう報いるか

基本給は段階的に、まずは成果に応じた報奨で
現場では、1人のエンジニアが10人分ほどのアウトプットを出すケースも出てきました。こうした変化を人事がつかめなければ、評価の見直しが後手に回り、やる気の低下や退職、採用難につながりかねません。
とはいえ、基本給を変えずに、いきなり全員に「10倍」を求めるのは難しい。木村氏は、基本給で求める水準を段階的に引き上げつつ、当面は成果を出している社員に報奨で報いるべきだと話しています。
今の「10倍」は1〜2年後には当たり前になっている可能性が高く、土台となる給与の設計もすぐに始める必要がある、というのが木村氏の考えです。 中小企業で、いきなり給与体系を作り変えるのは現実的ではありません。私なら、まず賞与の査定に「AIを使って仕事の進め方を変えたか」という観点を一つ加えるところから始めます。今の制度に少し足すだけでも、「会社はこの挑戦を見ている」というメッセージになります。
原資を考えずに、給与は上げられない
報酬を引き上げるには原資が要ります。メルカリでは、システムの運用費、AIの利用料、人件費の3つのバランスを、経営会議で頻繁に議論しているそうです。生産性が上がっても売上が伸びなければ、給与は上げられないからです。これは中小企業でも同じです。
AIの利用料は、月々の固定費として静かに積み上がっていきます。一方で、AIで生まれた時間が売上につながっているかは、意識して見なければ分かりません。
AIの費用を「パソコンやソフトの経費」としてだけ見るのではなく、人件費と並べて「この投資で、誰のどの仕事がどれだけ変わったか」を確かめる。それが、社員にきちんと報いるための前提になります。
中小企業は、社長が「人事」と「AI」の両方を握れる
メルカリは2026年6月1日付で、技術部門のトップだった木村氏を、人事の最高責任者とAI戦略の最高責任者を兼ねる立場に就けました。それまでは、AI戦略と人事戦略を別々の責任者が担っていました。
現場で起きている変化が人事から見えない状態になると、新しい働き方をした人を正しく評価できなくなる、というのがその理由です。
ただし木村氏は、技術出身者が人事のトップを務めれば、どの会社でもうまくいくとは考えていません。大切なのは、現場の変革を引っ張る部門のトップと人事のトップが一緒に制度をつくることで、営業が中心の会社なら、人事が組む相手は営業のトップになるといいます。ここに、中小企業ならではの強みがあります。
多くの中小企業では、社長自身が人事の最終決定者であり、AI導入を決める立場でもあります。大企業が組織を組み替えてまで実現しようとしていることを、中小企業は社長の判断ひとつで、すぐに始められるのです。
御社ならこう始める

AIに任せた作業の「その後」を、社員と一緒にたどる
最初に取り組んでいただきたいのは、AIで速くなった作業の「その後」を確かめることです。
AIで作った資料や見積は、その後、誰の確認を経て、いつお客様に届いているでしょうか。社員と一緒に、一つの仕事の流れを最初から最後までたどってみてください。
多くの場合、詰まっているのはAIで速くした工程ではなく、その前後にある承認や確認の部分です。そこが見えれば、次にAIをどこで使うべきかも自然と見えてきます。
このとき、AIにも相談相手になってもらいましょう。「この業務の流れで、時間がかかっている箇所はどこだと思うか」と問いかけると、自分たちには当たり前になっていた手順の無駄に気づかせてくれます。
月に一度、半日だけ全員でAIと向き合う
丸1日を確保するのが難しければ、月に一度、半日だけでも構いません。全員が通常業務の手を止め、自分の仕事を手伝ってくれるAIを作ってみる時間を設けてください。
ポイントは、最後に必ず発表し合うことです。隣の人の工夫を見ることで「そんな使い方があったのか」という発見が生まれ、会社全体に広がっていきます。
そして、その場にはぜひ社長ご自身も参加してください。経営者が一緒に手を動かす姿こそ、「AIに使う時間も立派な仕事だ」という何よりのメッセージになります。
「仕事が変わるかもしれない」を正直に伝える
AIを前提にした働き方では、今の仕事がなくなる可能性もあります。メルカリでは早い段階から、経営がその可能性を社員に正直に伝えてきました。その結果、より上位の仕事に挑戦する社員が現れ、異動などで仕事の幅を広げる動きも生まれたといいます。
象徴的なのが、データ分析の担当者です。メルカリは、社内のデータについて普段の言葉で質問できるAIエージェント「Socrates(ソクラテス)」を開発しました。専門的な操作をしなくても分析ができるようになり、依頼された分析をこなしていた担当者が、自ら事業の方向性を提案するなど、経営に近い役割を担い始めているそうです。
中小企業でも、同じことは起こせます。たとえば、売上データにAIで質問できるようにすれば、集計作業に追われていた事務担当の方が、「この商品は来月こう売りませんか」と提案する側に回れるかもしれません。
不安を伏せたまま進めるより、「仕事は変わる。でも、その先にもっと価値のある仕事を一緒につくりたい」と率直に伝えるほうが、社員は前を向けます。
メルカリ自身も、まだ試行錯誤の途中にあります。それでも、AIの利用率を上げる段階から、組織そのものを変える段階へ進むための道筋は、はっきりと示してくれています。
AIを配って終わりにせず、仕事の流れ、評価、そして社員との対話まで含めて見直す。中小企業は、その決断を社長の判断ですぐに下せます。
まずは御社で、AIで速くなった仕事の「その後」をたどるところから始めてみてください。
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